水路探検隊 長沢川を行く3/3【ノーカット版】

水路探検隊 長沢川を行く(つづき)

 そんな景色だからまた新たな発見をすることができる。私的な橋がそのひとつである。水路に沿って建物が建っている場合、水路占用許可をもらい自分の敷地へ入るための私的な橋を架けることになる。

 私的な橋だから利用する人が使用に問題が無ければそれでいいのである。国土交通省の作成する道路橋設計便覧とかを(たぶんそこまでシビアに)守らなくてもよい(と思う)のである。結果、橋は多様性を獲得する。

 立派な鉄筋コンクリートの架橋から果ては足場板を架けただけの植木鉢置き場までその種類は幅広い。

 果ては木造の橋脚に鉄骨、鉄筋コンクリート、単管パイプを複合させた橋まで発見した。おそらく応急処置を随時ほどこしていった結果こうなったのだろう。

 おもむき深く、いい味を出している。

 

 やはり、埋橋―緑橋間は長沢川のハイライト。おなかいっぱいになることができた。

 だが、緑橋へたどり着くと朱夏の時代も唐突に終わりを告げることになる。

 緑橋は別名「袖留橋」とも呼ばれ、その名の由来は一六一五年までさかのぼる。由来はここでは割愛するが、現存する橋の欄干などは一八七八年(明治十一年)に松本城の大手門の石材を再利用したものであるという。

 市街地で現存する中では由緒もある興味深い構造物のひとつではあるが、南北へ抜ける幹線が通っているため気づく人は少なくがっかり感は否めない。高知市でいうところのはりまや橋のポジションとそっくりである。

 

 このわかりやすい松本のはりまや橋を契機としてしばし長沢川は不遇の時代を味わうことになる。緑橋の欄干を眺め、幹線道を横断するとその水路の流路は全く分からなくなる。地図を見ると車両基地の隙間に少し顔を出すものの暗渠がどこに通っているかもわからない。

 駅前は一九六七年(昭和四十二年)から区画整理事業が始まっている。一九七五年(昭和五十年)の航空写真を見てみると駅の目の前は更地になりその範囲を徐々に広げている感じだ。だが、その時点では緑橋以西、ホテルブエナビスタや松本駅前記念公園などはなく、長沢川流域には区画整理の手が及んでいないと見える。まだ道が屈折しているのを見て取れるからだ。

 写真では確認することができなかったがこの曲がり具合から察するに、長沢川の流路に沿って作られた道な感じがする。

 だが今となっては流路が全く分からず、暗渠すらも楽しめない区間になてしまった。長沢川にとっては全く脚光を浴びることのない忍耐の時代であると言えるだろう。

 そんな長沢川が再びシャバにお目見えするのは篠ノ井線の西側、松本駅アルプス口を少し歩いたあたりだ。

 この辺りになると途中流入する雨水なども多いのか川幅がだいぶ広くなっている。いつのまにか立派になっちゃって。

 田川に合流するまで。いよいよ長沢川の晩年時代のはじまりである。

 

 地名で言うところの巾上をわりと自由に進む長沢川は不遇の時代を振り払うかのように若かりし頃の元気さを若干取り戻す。

 このエリアでぜひ見てもらいたいのが協立病院沿いのオーバーフローだろう。水路が途中で二車線になり、流量が少ない場合は側溝へ。それ以上になると本流へあふれる仕組みになっている。

 田畑の水利関係の雄・円筒分水なども非常に興味深いものの一つだが、水の流れをうまく利用した構造物は見ていて楽しい。人は焚火をみると落ち着くというが、水の流れもまた然りではないか。

 巾上を蛇行しながら進んだ長沢川はやがて田川大橋の少し南で田川に合流した。

果たして薄川に端を発した長沢川の人生とその生きざまを追ったドキュメンタリーもとい水路探検はついに終わりをつげたのである。

 もうすぐ合流地点、というあたりで「界河川」というコンクリート杭を見つけた。一見すると、河川なのかただのどぶ川なのかわからないが、確かにここは河川であるとその杭は物語っていた。

 

 駅前で流路がわからなくなってしまった際には、長沢川は晩年、評価されないまま終わってしまうのではないかと不安におそわれた。だが蓋を開けてみれば最盛期とまでは行かないまでも輝きをもって余生を送ってくれたようである。生まれた地まで見てきた身とすればそれなりに愛着は沸いており、純粋にうれしい気持ちになった。

 

 わずか半日の旅の中でも、生まれたての長沢川のことを思い浮かべると感慨深く、なにか熱いものがこみ上げてくるのを感じた。ぼくは田川に落ちる長沢川を、その生い立ちを思い出しつつ、いつまでも、いつまでも眺めていた。(さすがにウソです)

エピローグ

 本編でも語ったが、探検することがつまらなくならないよう、いい塩梅でしか下調べをしない。しかもずくがないので、探検後の答え合わせなども大してやらないのである。それは「こうなのでは?」と現場で仮説を立てて妄想する時点が楽しみの最高潮だからである。

 なので考証などをしなければいけないと理解しつつも観察という点にどうしても重きを置いてしまうのを理解してほしい。楽しみたいのである。

 興味を持たれた方がいるのかわからないが、もしいたら実際に歩いて自分なりの答えを見つけて頂ければと思う。

 また、水路のことを語っているつもりであるが河川、水路、側溝など言葉の定義があいまいである。雰囲気で感じ取ってもらえたらうれしい。

 あまり書き慣れず、稚拙な文章、間違っている部分も多々あると思う。

 これは何というか、もう水に流していただけると幸いである。水路だけに。

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